刷られ配布される印刷物は九紫性を有します。個人間での手紙のやり取りは送る側が九紫祐気を、返信する側は四緑祐気を確実に得られます。思いを馳せている人へ向けて心を込めた文章を書き連ねてはいかがでしょうか。また本記事は印鑑押印の重要なツボ、お洒落をして街に出てみることも九紫祐気に繋がることを示唆しています。
【印刷物から手紙まで~広い九紫性の範疇(はんちゅう)】
四緑木星は信頼関係を司(つかさど)る星。手紙に返信するのは九紫性。相手の信頼を勝ち取り、両者ともとても大切で、素晴らしい祐気に包まれます。
【信頼を増強させる力・文通】
巳・酉・丑(みとりうし)の巳(み)は四緑性、故に信頼と連環します。手紙を頂いたら必ずすぐ返信することが大切で、この往還を繰り返すごとに信頼関係は加速度的に上昇すること間違いなしです。是非、四緑の祐気を頂きつつ、闊達(かったつ=心が開き、物事にこせこせしないこと、度量が広く融通の利くこと)な書簡往還で是非、四緑祐気と九紫祐気、この二つを駆使出来るようになりましょう。手紙は直筆で、贈る相手のキャラに併せて便箋や封筒を揃えるなどといった本来的な書き方もありますが、堅苦しいことは抜きにして、この時代においてはE-mailでの交換も文通に近い効力を発してくれると思います。【九紫剋気・印鑑押印には気をつけよう】
南方位の<九紫剋気には印鑑押印のミス>という落とし穴があります。一番厄介なのは自分が押印した記憶のない書類に、うっかりミスなどで、印鑑を押印してしまっていることではないでしょうか。日本は役所が印鑑にお墨付きを付与してくれる印鑑証明書があり、他国とのサイン社会とは全く比較にならない程の権威を実印は有しています。ですのでこのセンテンスの主人公は社内的に、もしくは社外的にも大変なミスをしてしまった科(とが=過ち、罪)で厳しい局面を経たことが想像されます。【印鑑押印は午前中に実行】
印鑑を押す時は是非、午前中にしましょう。契約ごとの際は陽の高い午前中に来社するよう、相手に伝え明るい日中に自分の心を込めて押印する・・・これは契約ごとにおいてとても大切なメソッドですので、心に灼きつけて下さい。そして実践を続けていけば、必ず午前中以外は押印しない人へと変貌を遂げていくでしょう。午前中以外に押印しないことは、九紫祐気の摂取を一回取るのと同様なくらいの力を有します。【改めて素数の意味を解説】
前段で印鑑を通して契約というものが、成り立つことについて触れましたね。契約とは基本、恒常的に数字を巡っての売る側、買う側における攻防戦でもあります。気学では全ての星に素数が宛(あて)がわれます。九紫火星の素数は二と七。そもそも素数とは1またはその数自身の他に約数を持たない生の整数を指します。素数は一の位でも2、3、5、7と四つもあり天文学的数字に至るまで無数に存在します。前述した通り九紫の素数は2と7。自然の摂理として南(九紫)方位に向かって行動していくと2と7の縁ができることを示しています。【見目麗しゅう美麗な男女】
誰が見てもバッチリキマっている美しい女性に、目が行かない男はどうかしているのではないでしょうか? 華麗な装飾は九紫性です。美容用品や化粧品など女性の必需品を駆使してキメた状態で、表に出ていくのは九紫の祐気です。それに対してばっちりキマった状態で街に繰り出した男性も九紫祐気に該当します。社交場では美麗な自分をアピールし、人の感性に訴求(そきゅう=周囲の欲求に訴えること)します。キメて外出することは九紫祐気。社会生活において身なりをきちんとするということは最低限の流儀でありルールでもあります。ただだからと言ってあまりに度が過ぎると悪趣味であり、人の目からは不相応に映る。これは九紫性の障害とでも言えるでしょう。分相応な九紫性が祐気を起こす只中で究極的には社会の飛躍や発展に繋がっていくのです。ま と め
- 印刷物のみならず、手紙も九紫火気に該当する
- 文通を通して信頼関係を築くことが出来、送付側は九紫祐気を、返信側は四緑祐気を得ることができる
- 印鑑(特に実印)押印の際、覚えのない(契約)書類に押印などしてしまえば、信用は急降下、人生に関わるほどの大問題に発展しかねない
- 間違った印鑑押印を防ぐためには、必ず陽の高い午前中のみに押印することが大切、午後に回って来た書類は絶対明日の午前に延期すること
- 見た目を美麗に、かつ馴染んで仕上げたファッションに決めたなら、何らかの社交場に繰り出し、九紫性を発揮しよう
『編集後記』
本記事は九紫性が存分に働いたなら、周囲にどんな影響をあたえるだろうか―ということを想定し、気学の概念と照らし合わせてまとめさせて頂きました。元来、私も人に対し書簡を送るのは大好きで、下手な仕事の記事より熱情を込めて書いたりしています。文中でも当世においてはE-mailもあり・・・と書きました。細かいことを言うならば、あくまで私の持論から鑑みると、やはりE-mailはPOP過ぎないか・・・と感じる部分もあります。しかしそんなことを云っていたら確実にシーラカンスの領域に私も入ってしまいますし、メールはメールの様々な良さがあるのは私も重々承知しています。いずれにせよ、誰かと心を通わせていたい・・・という想念は素晴らしい愛情の発露(はつろ=表面に現れること)であると言えるでしょう。この人生に、皆様との出会いに感謝します。
誠にありがとうございます。