神社・・・私は本当に好きです。日本中の大きな神社から町や村の氏神様まで、ドライブしててよさ気な気を発している神社には、ついつい寄っては参拝してしまいます。参拝に匹敵するものは神棚をご奉戴させて頂き、出陣時に神と語り合う・・・この往還はとても効果的ですし、他人に対して優しく接することが出来るようになっていくことでしょう。
【三種の神器の時代に思いを馳せよう】
- 鏡は神社の御神体の一
- 八咫鏡(やたのかがみ)伊勢神宮所蔵、
- 剣は神社の御神体の一
- 天叢雲劍(あまのむらくものつるぎ)熱田神宮所蔵
- 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)宮中所蔵
- 勾玉は先史・古代の日本における装身具の一
【神棚祀りの重要性を説く】
神棚祀りの際は真ん中に必ず鏡を置きます。祀りにとって一番大切なことは、鏡を通し自分の心を映し出すこと。そして自分の心の中にも神性(=神が宿っていること)が宿っていることを早く知ることが大切です。今一度神棚を設置する方位や手順を復習してみましょう。【神棚祀りの復習】
まず神棚を祀る方位は南向きです。家の中心から、西北の部屋に向けて設置する。格式の最も高い部屋で、陽気が最も強い位置が定まれば言うことはありません。家の様々な特徴のせいで南に向けられなかったら、今度は東方位が良いです。とにかく明るい方位に向かって設置するのが鉄則です。【デキる経営者は毎朝、祈る】
神棚への参拝に対する形は、信仰心が無い人から見ると単に神棚という物体に祈っているかのように見受けられるようです。しかしその実相は、当然、神は実在します。故に毎朝、神棚に対し神の御姿を想像し、神と自分自身との心からの対話を日課にすること。経営者や組織のリーダーはこのお参りで得た想念を大切にして、両者とも一日一日を大切に生きていかれて下さい。【お巫女さんは清々しく可憐さが漂う】
九紫象意には「何らかの対象を写す」という重要なポイントがあります。例えばカメラ、現像された写真、スクリーンいっぱいに広がる映画、日常生活における情報源としてのテレビ、そしてこのブログなど(笑)私共の生活はモニター、現代人は画像に縛られ過ぎている感じを私は持ちます。夫婦の時間をゆっくり取りたいので私たちは三年前、リサイクルショップにテレビを売却しました。まあ、ひとまずそれは置いといて(^_^;)、まずここでは冒頭に出てきた鏡の話をさせて頂きます。格式高い大きな神社に行くと、何とも美々たる袴姿で神事のご奉仕をするお巫女(みこ)さんに出会うことが多くありますね。あの長くストレートな黒い長髪は光を反射し、何故かしら、とても神々しく、そして大変美しくいつも私の目には灼きつけられているのです。それもその筈、神社におけるお巫女さんの存在は九紫の祐気に該当しているとのこと、「嗚呼(ああ)やっぱり神々しいわけだ・・・」とそれを知った時、心の底から納得できました。ま と め
- 日本国が世界中から愛されるのは、美しい日本人の精神性とそして世界最強の王、天皇陛下を戴いている霊性の高さに対してのものが大きな要素
- 宮中、熱田神宮、伊勢神宮に所蔵されている三種の神器は日本がただの一国家でないことを知らしめている
- 神と天皇陛下に敬虔(けいけん=敬い慎むこと)な心があるならば、正しい方位に神棚を祀り、一日の弥栄(いよいよ栄えること)を祈念してから出社しよう
- 神棚へのお参りを毎朝、出勤前に行い、心鎮めて職場に向かうと良い一日になる可能性高し
- お巫女の美しさは九紫象意。道理で神々しい女性が多いわけである
『編集後記』
私が、えも言われぬ美しいお巫女さんを見たのは、今から10年以上前、甲府・武田神社でお神酒を振舞っていた、年の頃は17歳くらいの目映い程の清楚性と、凛として若干冷気を発しているかのような美しさに息を飲んだt時のことです。不謹慎な連れは「東京に持って帰っちゃいましょうか」などとふざけた暴言を口にしていましたが、あれ以降、あれほど美しいお巫女さんを見ることもなくなりました。きっとそれは私自身から若さの祐気をあまり発せぬようになったこととも関係していると思います(^_^;)この人生に、皆様との出会いに感謝します。
誠にありがとうございます。