本記事は人のために、愛のあるメッセージを能弁に語る「歩く七赤祐気」と称しても差し支えない人物の偉大さを、余すことなく御伝えしています。そして気学においてその対極に駄弁(だべん=非常にくだらない話)ばかりを所構わず吐き続ける人間の存在そのものが、七赤の剋気である・・・というほど完膚(かんぷ)なきまでに否定しています。
それではお茶でも飲みながらごゆっくりどうぞ。
【駄弁と能弁では天と地の差がある】
- 場の空気を読まず、くだらない話をだらだら続け悦に入る者の状態を駄弁(だべん)と云うが、まさに駄弁を弄(ろう)する人間の存在そのものが七赤剋気の一。
- 駄弁を得意(?)とする者は、七赤金星であっても決して金運を寄せることが出来ない
- 役に立つ話や人を褒め称える話、世の中で役に立つことを伝えていく人の話を総称して能弁(のうべん)と定義する
- 能弁を得意とする者の話を聞くことは七赤祐気に該当し、七赤(西)方位に行ってお水取り、祐気取りをするのと同様の非常に大きな効果を得ることができる
- 人の役に立っていく話を御伝えし、かつ人のために良かれと思い行動する七赤金星は金運を大いに寄せる
【存在自体が剋気! 駄弁人間の恐怖】
どうですか?! この能弁と駄弁の落差! そしてある一定の社会経験を積んだ人ならこの両者それぞれについて、思い出す人物がちらほらいるのではないでしょうか。まず駄弁の方から書きますと、この手合いの人はその場に居合わせる人たちに対してまるで愛がない。あるものは徹底的な自分の経験、体験の押し付けに終始されます。また居合わせた人たちの属性というものすら見通す能力が欠如しているため、同じ話を何度も何度も様々なシーンで繰り返す、また抜本的にちっとも面白くも何ともない話を針小棒大(しんしょうぼうだい=小さなことを大げさにいうこと、誇張すること)にして触れ回るので「あれは変な人間だよ」と早い段階で皆に見抜かれてしまいますが、反省する能力も著しく低いため、いつまでも同じ地点をぐるぐる回り続けます。下手に相手をしようものなら調子に乗って、益々勢い込みさらに水準の低い駄弁を披露してきますので本当に厄介。大きな七赤剋気として、その人物の存在自体が認定されるのですからある意味、その立ったキャラ自体は大したものではあります。【能弁者の偉大さをリスペクト】
【西方位取りは他方位よりもお金を使おう】
豊かな人生を生き抜くためには経済力も無論、非常に大切ですけれども、そのベースには信頼や愛というものがどれだけ積み重ねられてきているかによって人間性の大小が決定していきます。また西方位祐気取りの際はその旅自体を愉しむ・・・というスタンスも大事なので、他の方位における祐気取りの時よりも、分に応じてそこそこお金を使っても大丈夫な面があると聞き及びます。その結果、より吉方位としての西の効果も出てきます。年盤で西の方位を使えることがはっきりしている場合は是非、西の祐気を取るように心がけましょう。『編集後記』
本当に世の中、いろんなところに駄弁人間が溢れかえっています。学校でも職場でも、飲み屋でも温泉や銭湯でも電車の中でも、著しく民度の低い朝のワイドショー番組のコメンテーターなども含めて駄弁人間を満載した電車やクルマが都会を走り抜け、人の話にくちばしを突っ込んで、そして自分の話だけでその場を染めてやろうと虎視眈々(こしたんたん=あたりを見回し威圧して征服の機会を伺う様体)です。何故そのような程度の低い人生を送ってしまうのか・・・それぞれの理由があるのでしょうが、やはり戦後民主主義の美名のもと、自分勝手に生き抜く人間を大量生産してきた社会主義や共産主義の大票田(だいひょうでん)・日教組教育の偏波(へんぱ=偏って不公平なこと、えこひいき)がこの国の国体を、ここまで愚弄してきたことに最大要因があると断じざるを得ません。今後の教育行政への大改革が断行されるか否か、固唾を飲んで見守りましょう。
この人生に、
皆様との出会いに感謝します。
誠にありがとうございます。