経営者にとって極めて大切な、西方位が生み出す七赤の祐気。金運の上昇を期すため、積極的なお水取りが求められます。また人間社会においてとても重要な礼節も、村社会から発展していった商慣行が原点と云えます。何か一つ欠けが見つかること=一爻不足(いっこうふそく)。完璧になれないために、人は次の機会を伺い前進していくべきことを示唆していますね。
【七赤金星のプロフィール】
- 九月という酉の月を押さえる七赤は、後天定位盤の方位では四正・西方位30度のテリトリーを占める
- 二黒土星、五黄土星、八白土星の土星三兄弟にとっては、非常に良好な祐気取りに相応しい方位
- 経営者(事業家)は是非とも祐気取りの際、押さえておくべき、金運・財運が絡む運気摂取必須の方位である
- 酉の刻(午後五時~午後七時)は七赤の時間に該当する
- 取引、商売の手段、流通、金運の動きが良好となり活性化していく
- 七赤金星には礼節という意味も含まれ、人間性の根本を説いている
【村社会から発生していった礼節】
七赤と礼節の繋がりについて以下に記していきます。山から発した川は低いところ(平野部など)に向けて水が集まります。本来的に人間の多くは水を求め平野部に集まって文明の源を興してきました。(好んで山岳部にとどまった者たちも無論いましたが・・・)まず村ができ七赤象意の窪み=兌(だ=低いところ、易の八卦の一、算木で口の形に表す、沢や少女にかたどり方位では西に配する)には共同体が次々に拓かれていきました。その渦中、商売繁盛させていきたい者にとっては徐々に礼節をわきまえることの重要性についての気付きがあり、お客さんとの間でけじめを持って接していくことが決定的に大切であるというスタンスが形成されていったのです。【無礼講であっても、根底にある礼節を守る】
現代社会の暮らしにおいて礼節がなっていない者は容赦なく叩かれます。況や(いわんや=なおさら、まして、その上に)商売人がふんぞり返っていたなら、その者の将来は極めて暗いと言わざるを得ません。礼節は相手に対し信頼を与え、金運の源にもなります。少し話の角度が変わりますが、お酒の席などで上長(じょうちょう=目上の人)が「今夜は無礼講だぞ!」と言った場合、ハメを外す気持ちになって大きな態度に豹変してもそれはそれで良いのだとは思います。しかしその際、心の隅に礼節をしっかり持っている人は無礼講の中でも一線をきっちり死守しますから失敗が少なく、相手と信頼関係を構築しやすい傾向を持ちます。「無礼講と言われたぞ」とばかり、すべてのたがが外れたような行動をとる者は、水面下でがっちり顰蹙(ひんしゅく)を買っている危険性が高くなることでしょう。【何らかの欠けを示す一爻不足(いっこうふそく)】
一爻不足(いっこうふそく)とは求めても求めても完璧の領域に達成することは出来ず、必ず一箇所に何らかの欠けが伴ってしまうことを云います。本命星が西に回座した時、一つ何かが足りなくなるという現象が一爻不足(いっこうふそく)の意味です。良きように解釈すれば常に足りないポイントが一つあるからこそ、それを補うために個人的にも精進を重ね、完成させていくのだ・・・という努力の重要性を示すものにもなるでしょう。ちなみにその一つ欠けてしまう一爻不足(いっこうふそく)状態は七赤の剋気に該当します。ま と め
- 九月の酉(とり)の月を押さえる七赤は、後天定位盤の方位で四正・西方位30度の位置を占める
- 土星三兄弟(二黒、五黄、八白)格好の祐気を取れる方位である
- 七赤象意の窪み=兌(だ)には平野が広がり、河が悠々と流れる、その中で多くの人々が悠久の歴史と文明を重ねてきた
- 商売という行為の黎明期(れいめいき=新しい時代が始まろうとする時機)、そのやり取りの中からけじめが生まれ礼節が完成していった
- 一爻不足(いっこうふそく)とは完璧を求めても、常に足りない点が一つ、主に後から発覚すること
- しかし一爻不足(いっこうふそく)をポジティブに捉えれば、今後の自己が成していく努力の具体的課題や方向性を示唆してくれているものとも云える
『編集後記』
以前北海道の有名観光地売店にて、かみさんが小物を選んだ際にすぐさま「500円です」とシャウトしてきた中年売り子は今もあのスタンスで勤めているのかなあ・・・とよく思い出します。恐らくあのような態度を取ってきたのは多分に万引き対策が影にあるのでしょうが、それにしてもあの観光地売店の雰囲気の悪さは格別でした。礼節のない商人というのは非常に柄が悪く感じられてしまいます。お客の心理をいつも考え、研鑽(けんさん)を積んでいる人はやはり空気感からして違います、勿論良い意味で。記事タイトル通り、本当に金運の基礎は礼節に在り・・・という以外ないのだなあと私は感じました。この人生に、皆様との出会いに感謝します。
誠にありがとうございます。