一般的な"自己鍛錬は全て自分で創出せねばならないものだ"という考えに対して成功者は"知られざる成功法則を何かしら持って、成功を収めるのもまた事実である"という考え方もあると思います。
新しき生命たちよ、君たちの運命や如何に?! |
《先天的運命》と《後天的運命》の比較
九星気学における《先天的運命》の意味
- 80パーセントの運命を決めている
- 生まれた時に決まる
- 生まれた時に決まる運命を宿命と呼び、変えることはできない
- 宿命や不運に対して、抗(あらが)わずまずは全てを受け止める
- 九星の星回りによって、決まってしまっている運命は厳然と存在する
- 宿命の前で漫然として動かねば現実社会での運は衰退する
九星気学における《後天的運命》
- 20パーセントの運命を決めている
- 人生の取捨選択行動で決まる
- 宿命は変えられないが、運命を変えることは可能である
- 本人の決意と努力により、自分の運命を切り拓(ひら)く
- 自分の運命はどういう傾向があるのか、九星気学を使い学びを得る
- 後天的運命が現実社会で生きていくためのカギである
文学者における《先天的運命》の意味
- 本人自身の徳や行動の内容とは別に、受け取ることができる幸運がある
- 生まれた段階で善い環境に育つなど仕組まれる
- 経済的或いは地位的に恵まれた家に生まれる
- 本来的に美しく生まれる
- 顔が骨格的には綺麗に生まれる
- 人相に自惚れて過ごし続けてしまった場合→その後の人生が暗転し、運命は翳(かげ)る
- 幸福の星は厳然とある→それを上下させるのも行動と想念次第
- 太いローソクでも風の強いところに置けば早く尽きてしまう
文学者における《後天的運命》
- 本人自身の陰徳や行動などの修練で、幸運が創造される
- 不幸な家に生まれても善い行動によって運命を転換できる
- 懸命に生きることで家の霊相を上昇させられる
- 美しくなるために努力し内面を磨く
- 精進と清貧の生活の中でルックスが良く変貌する
- 人相が良くなくとも愛や真心を以て過ごした場合→良い相になるため「人相学」上、運命すら自ずと好転する
- 不幸の星も厳然とある→それを上下させるのも行動と想念次第
- 細いローソクでも風の当たらぬところに置けば長く保てる
九星気学の後に、文学者における運命についての解釈も紹介しました。こうして文学と九星気学における運命の捉え方の相違一つとっても、随分各々(おのおの)の学問の切り口で捉え方に差異が生じますね。
文学における運命論は九星気学と比較すると非常に現世的、世俗的で辛辣(しんらつ)な雰囲気を醸し出しています。対して九星気学は「学ぶだけではなく、自分が動く、行動する」ことが致命的に重要、と大家の方々が口を酸っぱくして訴えるゆえんがお分かり頂けるでしょう。また九星気学は運命学の一つではありますが、とてもパワフルな開運法です。
その刻々と変化する自分の星への指針に従い、強く信じ努力し能動的に攻める、或いは引くなど遊撃的な動きの集積(しゅうせき)により、運命がどんどん好転していく、とても素晴らしい活きた学問であることをここで強調しておきましょう。
また繰り言になり気学ではないですが、上で記した文学者の運命論を主張した幸田露伴は盛んに運命学に対し文学的持論を展開、対峙してきたことで有名です。気学ではないですが参考に追記致します。
「運命」幸田露伴著 |
まず先天的・後天的の両運命に対して疑問を呈す「運命懐疑(かいぎ)論者」に対し
『誰でも彼でも自分が時を撰(えら)び、処を撰び、自分の体質相貌(そうぼう)等を撰んで生まれたのでは無いといふことに思ひ当つたならば、自然に運命前定が少なくとも一半は真理であるといふことに思ひ当つたならば、自然に運命前定が少なくとも一半は真理であるといふことを思ふでせう。運命が無いなぞといふことは何程自惚(うぬぼれ)の強い人でも云ひ得ない事でせう。』と厳しく断じ、運命・天命は現に存在することを強調しています。
反面、極端な「運命論者」に対しては
「運命前定説から生れる運命測知術、即ちいろいろの占卜(せんぼく)の術などを神聖のもののやうに思つては、人間たるものの本年の希望、即ち向上心といふ高いものを蹂躙(じゅうりん)する卑屈の思想に墜ちて終ひまして甚だ宜しく無い、即ちそれは現在相違といふ過失に陥ります。」ともちろん九星気学を含めた全ての運命論的学問、卜占(ぼくせん)に至るまで鋭く釘を刺し「行き過ぎること」を制止しています。
今回は 先天的運命 と 後天的運命 についての考え方についてお話ししましたが如何でしょうか?
この人生に、
皆様との出会いに感謝します。
お読み頂き誠にありがとうございます。