みなさんこんにちは!
清岡卓磨です。
昨日は「九星気学」は究極の「帝王学」であることの裏付けとして古代支那帝王・伏羲について語らせて頂きました。
伏羲によって「先天定位盤」が見出された約1000年後、また新たなHEROが「後天定位盤」のエキスを創出していきました。
そのHEROの名は禹(う、紀元前2070年頃)。夏王朝の創始者です。
九星気学の真髄である「後天定位盤」に繋がる重要なエッセンスをつかみ、禹王が善政によって登りつめていくのは天意の顕れだったのかも知れません。
禹王(紀元前2070年頃) |
洛水で発見された「神紋」をつけた「神亀」 |
禹王は「それらの数霊をもって天地運行の順序を示し」これに従い国を治め、民を教育する法を制定したと見られています。
禹王が如何に素晴らしい帝王であったか、様々な古書の記述に多くその徳が讃えられています。
塗山氏の女を娶り、啓という皇子をなした。禹は人徳を持ち人々に尊敬される人物だった。さらには卓越した政治能力を持ちその手腕において
「武器の生産を停止し、農業地では収穫量に目を光らせ、農民を苦しませず、宮殿の大増築は当面先送りし、関所や市場にかかる諸税を免除し、地方に都市を造り、煩雑で官僚主義的な制度を廃止して行政を簡略化した。その結果、支那の内はもとより、外国までも朝貢を求めてくるようになったと言われている」
さらに禹王は「河を意図的に導くなどしてさまざまな河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成し、中央と東西南北の違いを旗によって人々に示し、古くからの方法も踏襲し、全国を分けて九州を置いた」
禹王は「倹約政策を取り、自ら率先して行動した」
しかし「そのことを全く鼻にかけることなく、自慢めいた言動をとることはなかった」という。
まさにKing of kings! 王の中の王!
竹書紀年によれば、45年間の帝としての統治で最強の善政を指揮監督しました。
昔も今も田園は人々の生きるエナジーを供給する |
次回は伏羲が見出した龍馬の背に描かれていた「河図」、そして今回ご紹介しました禹王が神亀の背=甲羅に描かれていた神紋たる「洛書」の融合により、九星気学が収斂されていくさまを見ていきましょう。
この人生に、
皆様との出会いに感謝します。
誠にありがとうございます。