2013年4月11日木曜日

古代支那王・伏羲が創造した成果


みなさん、こんにちは!
清岡卓磨です。

このブログのタイトルにあるように
「九星気学」は究極の「帝王学」です。

そもそもこの学問の発祥となった出来事の、主人公自体が古代支那の王・伏羲であり、伏羲が見出した「龍馬」のBODYに記されていた図から始まり、この学問の体系が進捗し始めていったという歴史があるのです。

前段でちょっと怒涛のようにセンテンスを連ねすぎましたね。
前段の解説を以下に展開していきたく思います。

伏羲・ふくぎ(紀元前3350年~紀元前3040年)は古代支那神話に登場する神または伝説上の帝王で、支那伝説における三皇の一人に挙げられています。

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伏羲(ふくぎ)紀元前3350年〜紀元前3040年

姓は鳳(凤)姓。兄妹または夫婦と目される女媧と同様に、蛇身人首の姿で描かれていることも多いです。また、現在は漢民族人文の始祖として崇拝されています。

その偉大なる神なのか帝王なのかは定かではない、しかし大聖霊であったことには違わない高邁な伏羲が、黄河に浮き上がって出現した龍馬と対峙しました。

我々日本人は龍馬と書かれるとついつい坂本龍馬のことかと想起してしまいますが、ここで記されているのは「りゅうめ」なる奇怪な化け物のような生命体を指しています。

頭が龍、体が馬といういでたちで、りゅうめの背中には何やらまるでタトゥーのように様々な、しかし立体的な紋様が描かれていたのです。

背中に書いてあったという図を河図と呼び、
易の八卦(はっけ)はここから発生していったものと見られています。

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龍馬(りゅうめ)、躯体には先天定位盤の基になる「河図」が描かれていた


伏羲はこの出来事が起こる前に複数回、この現象をまなこにするような予知夢を見ていたので、「これは天意か?!」とインスピレーションを得てこの紋様を独自で解析、その上で伏羲は宇宙大自然の真理天道を悟り、
八卦を描き、宇宙万象生々不滅の根源を解き明かした「易経道源」を極めるに至ります。

私たち現代人は一般的に、易経と訊けば吉凶占いの類か・・・と高を括って終いがちですが、それは大きな誤りです。
「易経」は本来的に『大自然の真理天道の源』を明らかに説かれた経書であり、天文,地理,医学(漢方)気功等の根源ですらあることを認識する必要がありますね。

また人間の先天的運命を審らかにした
「先天定位盤」も伏羲が完成させたとされています。
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先天定位盤

今日は九星気学の基礎中の基礎、伏羲が編み出したこの学問の礎をみなさんとともに見てきました。明日も支那の伝説から九星気学のツール中、最重要と目される「後天定位盤」完成への道程をご紹介させて頂こうと思っております。

この人生に、
皆様との出会いに感謝します。

誠にありがとうございます。



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